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私のこれまで

 名古屋市中村区生まれ 

名古屋市立中村小学校(サッカー部),名古屋市立豊正中学校(バレー部), 愛知県立明和高等学校(バトミントン部)卒 

*スポーツができる方が女の子にもてると思い,いつも運動部に入っていたが,ど れもへただったので,いまいちもてなかった. 

名古屋大学文学部入学

大学でワンゲルに入った

*しかし,それだけでは飽きたらず, 冬山やロッククライミングをするため,同時に社会人山岳会(名古屋登稜会)にも入っていた.そのため,大学4年間は毎年100日以上山 に入っていたので,4日に1日はテントで寝たことになる.

*山岳会の同期,飯田明くん(当時,愛知教育大・地理学科)と日頃「将来は,お互い,地理の先生になろうね」と言っていたが,冬山で遭 難した彼の遺体を背負いながら山を下る時,彼の分もがんばって地理学者になろうと決意する.

名古屋大学文学部 地理学専攻に進学

*名大の教授に「西欧では,地理の分野で植生地理の研究が進んでいるのに,日本では研究者が2ー3人ときわめて少なく,研究が立ち後れている.君は山を登るのだから,大変だろうが,開拓者精神で植生地理の研究をやりなさい.」という強い勧めによって「高山植生の立地環境」の研究を始める.最初のフィールドは南アルプス(赤石山脈)

*ワンゲルの後輩が南アルプスで遭難し,救助に向かった私の車が,路肩を踏み外し,回転しながら川に転落して九死に一生を得る.

1982年3月 名古屋大学文学部(地理学専攻)卒業

北海道大学 大学院環境科学研究科 環境構造学専攻 修士課程入学

*北大の教授に,「植生地理学」で研究職に就くことは日本では絶望的であることを知らされ,他の分野(たとえば地形学)に転向するか海外の大学に出ることを勧められる.しかし,研究のおもしろさにとりつかれていたので,「なんとかなるだろう」という楽観的考えで植生地理の研究を続ける.

北大時代のフィールドは大雪山.

*   「最初のうちは論文を最もレフリー制度の厳しい学会誌に,論説として、短報ではなく」投稿せよ」という名大時代の教えに従い,若手地理学研究者の登竜門「地理学評論」に卒業論文を投稿する.処女論文を地理学評論に載せるのに非常に苦労したが,今になって考えるとこの教えのありがたさが身にしみる.

1985年3月 北海道大学大学院環境科学研究科(環境構造学専攻)修士課程修了(学術修士)

東京都立大学 大学院理学研究科 地理学専攻 博士課程入学  

フィールドは主に,北アルプス(飛騨山脈),特に野口五郎岳と黒部五郎岳

*はじめて,国際会議(国際地理学会議)(シドニー)で「日本の高山植生の立地環境」という発表をしたが,質問者の意図がわからず英会話力のなさを痛感する.「英会話が身について,彼女もできる」という甘い誘いで英会話学校に通うが,「二兎を追う者は一兎も得ず」であった.

*「キリスト教の教会に通えばクリスチャンの彼女ができる」という後輩の誘いで2年間教会の日曜礼拝に通ったが,「信じる者は救われず」行くのをやめた.(でも,いろんな人と巡り会い,教えられることも多かったです.)

1990年3月 東京都立大学大学院理学研究科(地理学専攻)博士課程修了(理学博士)

1991年-1992年 日本学術振興会特別研究員 (PD)

*都立大の後輩院生(山縣耕太郎氏,現在上越教育大)を誘惑して,小笠原諸島の亜熱帯植生の立地環境の研究を始める.

1992年-

*国士舘大,茨城大,日本大,横浜国立大等の非常勤講師を勤める傍ら,学校法人河合塾予備校大学受験科(地理学)の非常勤講師も勤める(以後,予備校講師の負担が年々大きくなり,殺人的に忙しくなる)

*日本アルプスの高山植生の成立環境の研究を博士論文としてまとめた後,日本の高山と最も環境の異なる熱帯の高山で植生の環境について研究を始める.

ケニヤ山(ケニア山)で高山植生の立地環境の研究 , 特に氷河の後退と植生の遷移の関係を解明する研究を始める.

*アフリカとの比較の意味で,同じ熱帯高山のボリビ ア・アンデスで調査を行う

*エチオピアの雨季に,同国最高峰,ラスダシャン山に 調査に出かけ,命がけで登る.一年前の南米調査 時にペルーのクスコで出会った女性に空港まで見送られ,「もう会うことは二度とないだろう」と感傷的に別れたが,その丸一年後にア フリカでバッタリ出会い,赤い糸の存在を信じる.

*「植生地理」という学問分野の日本の地理学における地位向上のため,地球温暖化と植物の生活史の関係を調査する研究グループGENET(GeoecologicalNetwork)を東大院生(中新田育子女史,現在宮城大)らと3人で創設.

*GENET(現メンバー,10数名)の木曽駒ヶ岳での観 測開始(研究活動が朝日新聞に取り上げられる(関東: 1月25日夕刊一面,関西:1月26日朝刊)).

*河合塾でのバイトがバイトでなくなってくる. 自分一人で野外実習と温泉をかねて,箱根に70人近くの河合塾の生徒を連れていったり ,50人近くの生徒を多摩川に連れていって花火を やったり、 自分の住んでいた府中で夏合宿や秋合宿をやったりして,忙しいながらも結構楽しんでいた.

河合塾サテライト授業 (北は網走,南は沖縄まで全国の河合塾,提携予備校,提携私立高校に衛星生中継する授業)の「地理」第1号講師に抜擢される(東京から名古屋のスタジオに毎週通い, 昼飯を路線バスの中で食べるような生活になる)

*月刊「地理」(古今書院)「ひとりぼっちの海外調査」連載開始(96年4月ー97 年3月):4,5,6月号:92年ケニア・タンザニア調査, 7,9,10月号:93年ボリビア・ペルー調査,11,12月号:94 年ケニア・エチオピア調査,2,3月号:96年ケニア・タン ザニア・ウガンダ調査

1996年11月 京都大学 大学院人間環境学研究科 アフリカ地域研究専攻 助教授

*予備校講師はあくまでもアルバイトでやっていたのにもかかわらず,「人気予備校講師から京大助教授に転身」といったような感じで,新聞,雑誌に取り上げられるようになる(1996年12月6日京都新聞夕刊「私のひと事」,12月12日東京新聞「この人」,12月24日中日新聞「この人」,1997年1月15 日朝日新聞全国版「ひと」,カレッジマネジメント(リクルート)No.84「若き研究者の研究録」,くらしの便利帳 (京都新聞)1997年5月号「この人に会いたかった」,キャリアガイダンス(リクルート)1997年5月号「随想PLAZA」,6月16日京都新聞夕刊「京大百年目の模索(3)」,1997年9月号エヴァ(サンマーク出版)「エヴァ人物図鑑」他    朝日新聞を見た読者の人たちから連日手紙をもらうようになるが,その9割 以上が女性であった.「いいお嬢さんを紹介したい」というような内容のものが結構多く,なかには返信用はがきが同封してあり,それに「独身であれば○, 既婚であれば×をつけて送り返してください」というものもあった.

1997年8月-10月 ケニア山調査(ケニア、ウガンダ)

  ケニア山、チンダル氷河より、ヒョウの遺体を発見!

  なんと、これが、今から約900年前(プラス、マイナス100年)の平安時代末期のものと判明(名古屋大学タンデトロン加速器質量分析計により、C14年代測定の結果)。世界的に、平安時代は暖かく、その後、鎌倉時代から江戸時代までは寒く、20世紀に入って温暖化した。すなわち、平安時代末期に、チンダル氷河のクレバスにヒョウがはまり、長い間氷河の氷の中に眠っていた。それが、20世紀に入り温暖化し、氷河が溶けて後退し、その溶けた部分から、ヒョウが出てきたというわけである。ヒョウは、全身に皮があり、一部に斑紋やヒゲも残っている

(この様子は、私が監修を担当したTBS「世界遺産」(日曜夜11時30分)で1999年7月25日に放映されました。また、同じく監修を担当したキリマンジャロは、1998年5月31日に放映されました。

 

TBS「世界遺産」ケニア山国立公園/自然林  キリマンジャロ国立公園

           

 

1998年4月 

京都大学 大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 アフリカ地域研究専攻 助教授 (新研究科発足により移行)

  8月 研究グループGENETの木曽駒ヶ岳観測サイトが、NHK「小さな旅」で全国放送された(近畿地方だけが放送されなかった)。私の「若き研究者がロマンを語る」も放映された。それを見た全国の友人たちから、「髪が強風でぼさぼさだった」というコメントばかりが寄せられた。アクリル製の温室の植物は、かなり葉が大きくなっていた(まわりの植物と比較してみて下さい)。 

 

11月-12月(ヨーロッパ、ケニア、エチオピア)

   

* ケニアの首都ナイロビ郊外に広がるスラム街、キベラの町に学校建設のために奮闘する若者たちがいる。かれらの案内でキベラの町とその小さな学校の子供たちを訪問した。   

1.キベラの町並み

2. 子供たち 1

3. 子供たち 2

4. 子供たち 3

5. 子供たち 4

 

* ココサ(エチオピア)の村を訪れると、外国人が珍しいためか、多数の村人が集まってきた。好奇心の目で我々を見るエチオピアの人々

 

* コンソ(エチオピア)に見られた侵食地形。ここを訪れた外国人によりニューヨークと名付けられた(摩天楼に似ているため)。

 

1999年2月-3月 ケニア、カメルーン

1999年10月~2000年7月 レーゲンスブルク大学(ドイツ)客員教授

2006年4月 京都大学 大学院アジア・アフリカ地域研究研究科 アフリカ地域研究専攻 准教授

2015年4月 京都大学 大学院文学研究科 地理学専修 教授

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